せつないこの地球で

トクベツじゃなくても大切な今日 繋いでいたい

Our days

今日は私自身の話をします(もちろん山田さんの話と絡めて笑)。今までTwitterはてなブログでは年齢をきちんと言ったことはありませんでした。何故なら私の通っていた中高はバイトはおろかSNS禁止で尚且つファンクラブ等に入るのも禁止だったから。そんな高校を本日無事に卒業しました。
 
高1になった瞬間にファンクラブに入った。家にピンクの会員証が届いた時の喜びと言ったらもう…言葉では表せない。何年間この日を待ちわびたか(涙)やっと自分名義のチケットでコンサートに行けるという幸福感がすごかった。
東京ドームのアリーナが人で埋まっている事にホットし、山田さんがくるすけのお人形さんに抱きついたのを生で見て「あぁこれが現場の醍醐味だ」と改めて思った。最後の1人ひとりの挨拶でトップバッターだった山田さんがセンステで挨拶を終え、スポットが当たっていないメインステージで彼だけが深くそして丁寧にお辞儀をしてはけて行ったのを見て本当に感動した。
 
夏、電車や駅の広告に「金田一少年の事件簿Neo」を見つけては元気を貰い、部活の合宿中だった誕生日は布団に隠れてジャニーズネットの誕生日メッセージを見た。
 
秋、smartの横アリが全落したのをポロッと学校の友人にこぼしたら、2人もチケットを譲ってくれると言ってくれたのにも関わらず、土曜は部活、日曜は英検で泣く泣く諦めた。そんな時にまた別の友人がオーラスのチケットを手配してくれ入った公演で自担にしっかり反応して頂き心からその前の2日間は無駄ではなかったと思えた。
 
冬、ベスアの「恋物語」のバックで踊るJUMPと「地獄先生ぬ〜べ〜」の絶鬼山田様の虜になり同じシーンを100回以上再生した事により、試験勉強がそっちのけになった。
 
高2の春、せんせーションズの出現とその直後のChau#のギャップに打ちのめされ、2年連続でアルバムを出せることに驚きを隠せなかった。嵐のワクワク学校に入学し、夏休みは福岡に遠征するというモチベーションのみが原動力だった。
 
秋、暇があれば観に行った「グラスホッパー
そして、以前このブログ(ジャニオタ(ドルオタ)の教訓【前編】)で少し書いたが今までの雑誌や録画や画像やらを殆ど処分したのもこの頃。前に書いた理由も勿論あるけど、私は弱い人間だからこの時私にとってJUMPはただ自分の時間を奪っていく物でしかなかった。だから、今は今のJUMPのみを受容しようと決めた。「Chiku Taku」は母親とのカラオケの定番になり、「秋、晴れ。僕に風が吹いた。」「NEW AGE」に励まされ、「Shall We?」に魅了され、「Ignition」に涙した。
 
冬、京セラのカウコンに当選し母親と参戦。心の底からJUMPを好きになって良かったと思った。
 
新年、部活の後輩にJUMPに興味があると言われたので、半ば強引に持っているJUMPのCDとDVDを全て預かって貰った。(ちなみに洗脳は成功した←)
 
高3の春、JUMP離れしようとしたが無理だった。寧ろ逆効果だった。自分はJUMP教だったんだと改めて悟った(笑)だから、普通にテレビも見たし、雑誌も読んだ。
 
夏、「DEAR.」のフラゲ日に限って午前に数学、午後に古文の補習。仕方ないから昼休みトイレに入って「Dear.」のネタバレを聴いたら歌いだしの山田さんの声で泣きそうになり慌ててやめた。帰宅後改めて聴いて号泣した。毎日朝は「ドリームマスター」でテンション上げて、夜は「KISS Diary」を聴いた。
 
そして横アリに1公演入った。煮詰まった高3の夏に、この2時間が爽やかな風を吹かせてくれた。この日は興奮してか3時に目が覚めて家を出るまでの8時間でやる事を片付けたのでコンサート後は心ゆくまでひたすらレポを書いた。私がそれを誰にも見せずに自分だけの中に留めていることを知って見兼ねた友人数名(JUMP担じゃない)に「あんたの書いたレポ読むからメモのスクショで送って」と言ってくれたので送った。どれくらい送ったかと言うとスクショ100枚分(笑)それを読んだ友人達に「このメモを〇〇(私の名前)の中だけに留めておくのが最高に気持ち悪いからせめて発信して」と言われたのが、今こうやってはてなブログを始めるキッカケ。
 
秋、「ワンダーロード」を聞くと最寄りの駅まで走るのが楽しくなった(←余裕を持って家を出ろ)。週1の「カインとアベル」だけが楽しみだった。
 
冬、進学先が決まった。要するに推薦です…一般入試に比べたら遥かに楽をさせて貰ったと思う(金銭面的にも精神面的にも)。だから本当に一般入試を頑張っていた友人を尊敬する。でも言い訳に聞こえるかもしれないけど、今まで全ての科目を手を抜かずにやって来て本当に良かったと思った。正直、中学の頃はガラケーすら持たせて貰えず不満しかなかったけれど、後々になって地道に勉強して運動部と文化部兼部して毎朝朝練、昼練、放課後練して、場合によっては行けたはずのJUMPのコンサートも我慢して…その積み重ねが報われたのかなって。(あくまでも結果論)
そして私にはJUMPについて思う存分考えられる時間が与えられた。後輩に長期貸出ししていたDVDなどを返してもらい今までやりたくても出来なかった事(JUMPに関するデータをまとめてみたり、Twitterを始めてみたり…)を片っ端からやる事にした。友人達は自分達はまだ頑張っているにも関わらず、私のJUMP研究(=オタ活)の話を聞いてくれた。そして気付く…時間はいくらあっても足りないって事に(笑)
 
一応都内の学校だったので、(寄り道禁止だったけど)帰り道に閉店間際の空いてる時間にジャニショに行けたり、渋谷のポスターを毎日横目に見ることができたり、散歩の途中にたまたま入ったカフェが後にやまけとが夜会で行ってたカフェでテンション上がったり、話しかけないけど時々有名人を見かけたり(私はJUMPをお見かけする事はなかったけど、友人は普通に圭人と握手をし、学校の近くに有岡さんがいた事もある)といった立地的な利点はすごくあるのは確か。
しかし、私は皆さんがイメージする一般的な都会のJKとは程遠く…渋谷にメイクして行くことはなく、マルキューには入らずそのちょっと先のUNIQLOにお世話になるような人間だった。要するに世に言うJKの特権(?)を1回も使わずJKを終えた気がする(笑)
けれど!JUMPの事になると語り癖のある私を受け入れてくれる友人にも出会えて、こうやって今JUMPを応援できる恵まれた環境にいることが出来て本当に幸せだと思う。
 
小学生の頃、部屋を暗くしてペンラ持って聴いたファーストアルバム…塾帰りに毎日雑誌を立ち読みし帰ってきてから「真夜中のシャドーボーイ」を見るのが日課だった。日曜の塾のモチベは帰ってスク革を見る事。中学受験で第一志望に不合格だった夜に聴いた「Memories」「ガンバレッツゴー」…世界中の「ありがとう」が詰め込まれた曲やJUMPが吸血鬼設定の曲を始めて聴いた時の驚き(でも、不思議と聴けば聴くほど好きになっちゃうんだ笑)。朝ミスヴァの広告だらけの電車にたまたま乗れた時の幸福感。Come On A My Houseというタイトル名に対して文法的におかしいよなという不安を感じていたら、案の定シングルになって世に放たれた時、友人達から総ツッコミをくらった…楽しい思い出も辛い思い出も…自分でも笑えるくらい、そこにはいっつもJUMPの事(というかJUMPの曲)がセットになって思い出される。
 
友人の1人にこんな事を言われた事がある。「〇〇(私の名前)から山田涼介を取ったら〇〇のアイデンティティーが無くなるよね。あんたは山田涼介によって作られてるようなもんじゃん(笑)」
 
そう…彼がいたから、というか彼がアイドルという職業を選んで今まで活動してくれたから何でも頑張れた。「努力は必ず報われる」って証明してくれた彼を心から尊敬した。「人は尊敬する人に似てくる」と言うけど、仕事人としての彼を見ていたら「誰かに出来て自分に出来ない事なんでない」って思えるようになった。芯の強いブレない人間でありたいと思った。
逆に彼に時間を取られすぎて失敗したことだってあった。だけど、後悔はしてない、というかしたくないからしない(←頑固な所も似てきたかも笑)。
 
最後に少し余談っぽくなりますが…「ファン歴は関係ない」と言う方もいる思いますが、私はそれに同意しかねます。髙木さんが「歌は心のアルバム」と言ったのを聞いた時すごくしっくりきました。曲を聴くとその時の自分の思い出も蘇るから。私の場合初めて購入したのは「真夜中のシャドーボーイ」だったのでJUMPをデビュー当時から応援していた訳ではありません。だけど、応援すると決めた以上失礼のないように彼らがそれまでに辿って来た道をネットや雑誌を漁ってそれなりに勉強しました。でも、それは既に過去の事実なんです。私の中での14歳の山田さんの「パフューム」は少クラのテレビ画面のそれを越えることは出来ないんです。だから、「曲と共に蘇る思い出」こそ昔から応援している人の特権であり、それは仮に共有できても誰にも譲る事は出来ない非常に尊いものだと思うのです。
 
だから、私は自分の思い出にJUMPの存在があるということを大切にしたいなと思います。
これからも私の思い出にJUMPの曲たちが寄り添ってくれる未来を願いながら、私は自分の道をまずは自分の為にまた一歩ずつ進んで行くし、そしてこれからも変わらずJUMPが進んでいく道を、進んで行く姿を見ていたい、見させてほしい。
 
これが私とJUMPの「Our days」…というか「My  days」
 
最後までお付き合いありがとうございました。
 
追伸:おそらくこのブログの存在を知っているであろうリア友のNちゃん、Aちゃん、Sちゃん。語りだしたら早口でかつ朝日が昇るまで止まらない私のJUMP話を(呆れ半分で)懲りずに聴いてくれて本当にありがとう。進む道は違うけれどまた私の話をネタとして聞いて、私が道を踏み外しそうになったら注意してね(笑)