せつないこの地球で

トクベツじゃなくても大切な今日 繋いでいたい

ジャニオタ(ドルオタ)の教訓 【前編】

私がはてなブログを始めるに至る経緯をきちんと書いていなかったなと思ったので書くことにしました。

簡単に言うと「山田涼介氏を知ってから約10年の年月を経て情報の価値と記録の大切さを痛感する⇒悟りを開く」ただ、それだけの話です。

前編は私が「はてなブログを始めるまでの約10年間」を、後編は前編の内容も踏まえて私が思う「ジャニオタ(ドルオタ)に必要なもの」について語ります。

 

【前編】

はてなブログを始めるまでの10段階

 ①2006年 山田涼介に興味を持つ

 ズバリ「探偵学園Q」のスペシャルドラマで山田さんを知りましたが、その時はまだ一視聴者に過ぎず、テレビに映っていたら見る程度だったように思います。

 

②2008年 CDを買う

 当時、JUMPに対して「かっこいい」というイメージは無く、バレーボールの試合で歌っている男の子達で、山田くんはその中の1人という認識でした。

そんな私が「真夜中のシャドーボーイ」の黒を基調としたジャケ写を見て「Hey! Say! JUMPめっちゃカッコイイ」と思わないはずもなく、まんまと沼に片足をとられたわけです。そこからは、音楽番組でJUMPが出ればチェックし、バラエティも見始めました。

だが、しかし!私はここからもうミスを犯していたのだった(気づくのは2年後)

 

 

③2010年 コンサートに行く⇒ハマる

友人に連れて行って貰い初めてHey! Say! JUMPのコンサートに行きました。当時は、いわゆる「ジャニオタ」について全く知らなかったので超普段着で行っちゃったんですよ(笑) まぁ、浮きますよね…後ろに繋ぎの服にでっかく「山田涼介」「知念侑李」って貼ってあるお姉さま方見ておったまげました。それも、幸運か不幸かアリーナ最前列だったんですよ。もう雰囲気に圧倒されっぱなしで、正直周りが「怖い」って思ってしまって。そんな時に当時高1の山田さんが目の前に来たんです。彼が後ろのお姉さま方にファンサされると、お姉さま方すごい喜んでおられて凄いなぁと思いました。そうしたら今度は私達の方に向かって、手を振ってるんですよ。最初は「まぁ、自分じゃないな」って思ったんですけど目が合ったので、とりあえず遠慮がちに手を振り返してみました。そうしたら山田さんが手でグッドポーズして頷いて、また手を振り返してくれました。相手にとっては手を振ったファンの中の1人に過ぎませんが、「これがアイドル山田涼介…かっこいい…」って当時まだ純粋だった私は思いました。こうして私は完全に「山田涼介くん好き」人間になったのです。

 

④2010~2011年 雑誌を立ち読みする

 コンサートに行ってからは、テレビだけでは満足度出来ず雑誌に手を出し始めました。そうしたら、もう面白いくらいにどんどん情報が入ってくる。コンサートの模様やメンバーとの関係性など、知れば知るほど面白くて、ますますHey! Say! JUMPを好きになっていきました。

それまではテレビもさほど見返したいと思っていませんでしたが、ハマると「あの時のMステもう1度見たいな」と当然思ってくるわけです。で、2008年から犯していたミスに2年越しでやっと気付くんですよ、家に録画機器が全く無いことに(笑)。親に頼み込んでBluRay内蔵のテレビを買って貰いました。これで一件落着…なんですが、またここで私はミスを犯します。(気づくのは2年後、解決するのは4年後)

 

⑤2012年 パソコンで情報収集

その当時の私は自分の携帯を所持していませんでした(その時は欲しくて堪らなかったのですが、今では逆にそれで良かったのかなと両親に感謝しています)。その為、私は他の友人に比べて圧倒的に情報収集力が欠けていました。シングルの発売日やラジオの情報など友人を通して聞く事の方が多かったように思います。パソコンが唯一インターネットに繋がる手段だったのですが、パスワードが分からないので親の許可がないと使えない状況でした。そこで私は決心しました「パソコンのパスワードを見つけよう」と…それが1回間違えたらヒントが出てきて案外簡単に解けちゃったんです(笑) そこからは初めて雑誌に触れた時以上に情報が入ってくる、入ってくる。インターネットの偉大さに気付くと同時に今までの自分の情報少なさにショックを受けました。

そして情報の重要性を痛感し、またミスに気付くのです。先ほど2010年にBluRay内蔵のテレビを買って貰いBluRayに直接録画をしていました。しかしCMを切るなどの編集機能がついていなかった為に何回か見て、ディスクが無駄だからと思って2ヶ月後くらいに消していたんです。本当にタイムマシンがあったら戻って「昭和×平成とかスクール革命とか録画しておけよ!スクール革命なんて2016年になってもまだ続いてるんだぞ!、Mステの冒険ライダーとか、バレーボールのChance to Changeとか、少クラとか………(涙)」って言いたくなりました。しかしこのテレビ録画問題が解決するのはもう2年かかります。

 

⑥2013年 本格的にオタクなる者に

この年に私はHey! Say! JUMPという底なし沼に完全に頭まで浸かります。

最大の理由はジャニワです。

その日はJUMPが6人しかいなかったんです。正直驚きましたし、ショックでした。私にとってジャニワを見る事が出来るのはその1回だけだったから。

でも本当に「Show must go on.」ってこう言う事なんだなと痛感しました。

山田さんの綱渡りも良かった、ミステリーヴァージンも勿論良かった。でも私に最も衝撃を与えたのは「裸の少年」という曲でした。私には彼がすごく美しく、でもそれ以上に儚く脆く見えました。

「彼の名は…」より抜粋

当たり前ですけど、3年前に生で見た彼らとはもう雲泥の差というか…プロの顔になってて「ここで本格的に彼らを応援しないと損だ!置いてかれる!」って感じました。それでコンサートもまた行きたいって強く思うようになりました。今の私ならあのコンサートの雰囲気に飲まれないという自信もありました。

でも、その年のJUMPは私が期待していたJUMPとは少し違いました。すごく不安そうだったから。コンサート自体は本当に楽しくて満足だったんですけど、最後の挨拶で山田さんが「違うグループに行かないで」と言った時に悲しくなりました。一緒に参戦した友人(その友人はデビュー前からJUMPを知っていて当時は知念担でした)と「なんか今のJUMP、情けないね…」と話した記憶があります。

 

さて、この頃から雑誌の読み方にも変化が出てきます。それまでは毎週(毎日?)のように本屋に通って立ち読みだけして帰るというスタンスだったのですが、2012年あたりから雑誌も少しずつ買うようになっていました。

ドル誌ですから他のグループのページは余るので、学校のクラスメイトに配り始めました。そんなある日、それぞれKis-My-Ft2Sexy Zone、関ジュが好きな友人に「雑誌同盟」を組まないかと誘われました。要するに前半3誌(duet、Wink up、POTATO)と後半2誌(Myojo、ポポロ)を分担して購入し、それぞれ自分が好きなグループの所を貰うという内容です。どうしても表と裏でグループが被ってしまうページは、基本的には購入した人が貰うというルールにしました。ただでさえ大人数でページ数が多いHey! Say! JUMPに加え当時はNYCの連載もあったので、関ジュ担の友人と比べると私の取り分が3倍くらいあったので、私は5誌中2誌を担当しました。

そして、2013年4月号から「Myojo」で山田さんの連載「真紅の音」が始まったのです。Myojoの裏表紙から1枚めくった見開きのページ。それまではSMAP木村拓哉さんが連載を持っていらっしゃった箇所だと言うことは把握していたので、連載が決まった瞬間に「これは連載が終わるまで絶対買おう」と決意し定期購読を始めました。ネットの方が発売日前に届く&楽だなと思いましたが、毎日のように立ち読みさせていただいた御恩がありますから、地元の本屋さんで頼むことにしました。

 

⑦2014年 情報革命(はてなブログと出会う)

 自分専用の通信機器(=スマホ)を遂に手に入れました。それまで自分の携帯すら持たせてもらえていなかったので友人にはものすごく驚かれました(笑)

スマホすごい…簡単にインターネットに繋がる(感動)、Twitter見れる、リアルタイム見れる…うわぁぁぁ情報が溢れてる………」

そして、また気付く…自分の情報量の少なさに

とりあえず、今までパソコンにせっせと保存してきた写真を移してありとあらゆる画像や動画を漁りまくり、色んな方々のブログや呟ききを読みまくりました。

そしてはてなブログに出会いました。頭に雷が落ちた感覚でした。「めちゃくちゃ愛が重い、だけどすごぉーく深く、真剣に考えている方々が沢山いる。これだ、私が求めていたものは」

 

そして、2012年に気付いた(根本的に言えば2008年から約6年越しですが)テレビ録画問題がこの年に解決します。HDDの録画機器を購入したのです。そしてやっと編集作業が出来るようになりました。

 

⑧2015年 データを殆ど全て消去する

あれだけ情報の重要性を痛感してしたはずなのに、記録が出来るようになって喜んでいたはずなのに…この年の秋に私は(BluRayの一部は除く)殆ど全ての情報と写真、動画を消去しました。

Hey! Say! JUMPから離れようと思った訳ではありません。どちらかと言えば逆です。調べ過ぎて辛くなったからです(笑) 

それから、他にも自分の時間をHey! Say! JUMPに取られている場合ではなかったという状況なども重なり思い切って消しました。そうしたら「意外と生活出来るな」という事に気付きました。

 

⑨2016年夏 悟りを開く 

 流石にデータを消去して後悔しなかった訳ではありません。雑誌を読んでいても「あぁ、このネタどっかで言ってたなぁ」とか「この衣装っていつのだっけ?」とか思ってもすぐに分かりません。だけれど、色々考えて行き着いた結論は「彼らの『今』が1番」だという事でした。勿論、過去を振り返ることもあります。でもその過去のどんな時よりも私は「今」の山田さんが、そしてHey! Say! JUMPが1番だと気付きました。「もう手元に無い物を悔やんて仕方が無い。知らないものは知らないでいいじゃないか。それより今目の前にもっと魅力的な彼らがいるじゃないか」と吹っ切る事ができました。そう考えると、2008年から私が犯していたと思っていたミスも全然気にならなくなりました。

 

「悟りを開く」という小見出しにしたのは上記に説明したように「情報の束縛からの悟り」という意味もありますが、もう一つ理由があります。

それは、たとえ今この瞬間に「Hey! Say! JUMP解散」と言われても私は受け入れる覚悟があるからです。常に「今」を精一杯駆け抜けた先にゴールが見えたなら、それがHey! Say! JUMPが歩んだ道なんだと考えるようになったのです。

 

 

⑩2016年秋 はてなブログ始める

過剰なインプットを辞め、ある意味で悟りを開いた後、今度はアウトプットに興味を持つようになりました。要するにHey! Say! JUMPや山田さんに対する自分の考えを発信してみようと思い始めました。「共感して欲しい」という思いより、「こんな考えの奴もいるんだなという事を頭の片隅に置いて貰えれば」という思いの方が大きかったように思います。

山田さんを知ってから色々失敗しました。Hey! Say! JUMPをHey! Say!JAMPと書いたり(ただのアホ)、うるぱわ(Hey! Say! 7のラジオ名の略)をUMP(Ultra Music Power)と間違えて解釈したり…。要するにジャニオタ文化についての知識が無かったが故にジャニオタからすれば有り得ないような間違いをしていたという事です。

ジャニオタに限らず〇〇オタクの世界って新規が入ってくるには結構な勇気がいると思います。私はHey! Say! JUMPの魅力を沢山の人に知って貰いたいと思っているタイプの人間なので、少しでもJUMPに興味を持ってくれた友人に昔の事を尋ねられたら喜んで話します。だけど、その時のファンの心情までは理解して欲しいとは思っていません。私自身だってデビュー当時から応援していた訳でもないですし、その時のファンの方のお気持ちを読んだり、聞いたりする事は出来ても、あくまでも想像の範囲を超えることはないですから。

少し話題がそれてしまいましたが、いずれにしても自分が書いた物を読んで、「好き」の程度は違えど、少しでもJUMPについて考えてみようと思って下さる方がいたらいいな…と思った訳です。

 

ちなみに、IDの「Ruby-red」は山田さんのMyojoの連載名である「真紅の音」から「真紅」の部分を、ブログ名「せつないこの地球で」はHey! Say! JUMPデビューシングル「Ultra Music Power」の山田さん唯一のソロパートである事は勿論、純粋に歌詞に惹かれてこれにしました。

サブタイトルについては悩みましたが「トクベツじゃなくても大切な今日 繋いでいたい」にしました。アイドルとファンとの関係性を考えた時に最終的に行き着いたのが「KISS Diary」のこの歌詞でした。抽象的な表現になってしまいますが、いくら商売とはいえ、アイドルとファンの間には形のない何か凄く強いものがあるのではないかと思うのです。と同時にその関係はいつ切られてしまうかも分からない、非常に脆いものでもあるのではないでしょうか。だからこそ私は「アイドルは今が全て」だと思うし、その「今」を繋ぎ続ける大切さを感じました。

 

そんな訳で、はてなブログを始めるまでをざっと書きました。最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 後編に続く↓